donpo9’s blog

脳卒中を体験した人の生活の楽しみ具合レポート

『氷河ネズミの毛皮』そして『水仙月の四日』  その3

登場人物たちのセリフの言い回しは朗読をする人にとって一番工夫のし甲斐があるところで一番おいしいところです。
朗読を始めた最初の頃はいわゆる声色(こわいろ)を使って読んでいたという傾向がありました。
そのほうが良い朗読 (?) というような勝手な思い込みがあったので、結構派手に声色を使いまくっていました。
ところがその一方で、こうした読み方は表面的には上手そうに聞こえても、その実、作り過ぎからくる嘘っぽさや違和感が後味の悪いものとして残ります。
こういうのじゃあない読み方をしたい・・・という強い憧れがはっきりと感じられるようになり最近は極端な声色は使わないで朗読しようと心がけています。

そのように朗読しようと思いに至った動機と発見には二つの気づきがあります。
① ひとつは故古今亭志ん生師匠の落語の語り口でした。
例えばおかみさんの声も声色を作らずごく普通に志ん生師匠の声そのもので語っていて、それでいておかみさんのせりふはおかみさんのせりふとしてきこえてくる不思議さです。
② 声色を使わなくてもセリフの向こう側にある登場人物たちの心の動きや微細な気持ちの変化の描写には声色がかえってじゃまっけなのではと思えてきたのです。
登場人物たちの心の動きや微細な変化の表現は、吐息や溜息や舌打ちや息遣いのゆらぎなどをセリフの端々にちょっと添えるだけでも十二分に伝わる場面がかなりあります。

『氷河ネズミの毛皮』ではイーハトブのタイチがお酒を飲んで酔いが回ってくると見当たり次第に周りの人間に管を巻くという場面があります。
「くだをまく」とは酒に酔ってくどくどとつまらないことを言うという品格のやや崩れた姿です。
酔っぱらいの戯言(ざれごと)というのは時には聴きようによって不愉快や不快感を醸し出す耳障りなしゃべりの側面があります。
確かに耳障りさが匂っても、不快を伴った耳障りさと感じさせずに、「しょうがねぇ野郎だなぁ」と苦笑いを誘えるような読みができるか、ギリギリのところに挑んでみたいと思います。
乞うご期待。