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脳卒中を体験した人の生活の楽しみ具合レポート

モチモチの木・考 その2  実年齢のリアリティーを大事にした朗読をしてみたい

モチモチの木・考 その2  実年齢のリアリティーを大事にした朗読をしてみたい

 

 

作者の斎藤隆介さんは68歳で亡くなられています。このモチモチの木は54歳の時の作品。
作者に「何故じさまの年齢を64歳という設定にされたのですか?」とその意図をお尋ねしたくても故人ですからそれはかないません。けれども孫の豆太を5歳とした為にじさまの年齢をあいまいにぼやかしたくはなかったのだろうと推察します。年齢不詳のじさまという書き方も可能ですが、具体的に年齢をくっきりと示してくれている作者の思いを私なりに読み解いてみたいです。

モチモチの木に出てくるじさまは64歳という設定です。私も今年の9月10日までは64歳です。
私は長いこと乳幼児の保育に直接&間接にかかわってきていますので5歳の子どものことも実際にイメージできます。
幼稚園でいうところの年中クラスの子ども達です。
同じ5歳の子どもでもいろいろな子どもがいます。
気の強い子、気の弱い子、甘えん坊の子ども、小さな変化にも敏感な子どももいれば、些細なことにとらわれないで泰然としている子ども。
一人一人それぞれ違っていますがみんなそれぞれ可愛いです。みんな違ってみんないいです。
ですから、ありのままのその子その子がそれぞれに育っていく姿を見守っていきたいと思っています。「這えば立て、立てば歩めの親心」親心には子どもが次の一歩を踏み出すかもしれないドラマへの期待の遊び心が大事です。
甘えん坊な子供は甘えながら(大人に依存しながら)自律の力を蓄えていきます。
臆病な子が感じ取る世界は彼の世界として受け止め、否定せずそこからのスタートを考えてみます。とかく大人の論理や価値観で一方的に子どもに何事かを教え込もうと焦ったりイライラしたりせず、彼の現在を丸ごとの処で共感していく態度こそが大事です。
「もう、まったく・・・あなたは何べん同じことを言われたら分かるの?」とヒステリックにならず、だったら発想を変えて言い方を変えてみればいいだけのことです。個別その子に伝わるような伝え方を探す態度(想像力)が大事です。これこそが保育の醍醐味です。駄々っ子はより良い伝え方を探させてくれる先生です。こうした態度から出てくる包容力がじさまの子育ての姿の中に滲んでいます。

(前略) じさまが、しゃがんだ膝の中に豆太を抱えて、
「ああ、いい夜だ。
星に手が届きそうだ。
奥山じゃぁ、鹿や熊めらが、ハナぢょうちん出して、寝ッこけてやがるべ、
それ、シィーッ」 (後略)

じさまはどんな思いを描きながら豆太のションベンに付き合っていることでしょう。興味深いです。


この間You Tube等で聴ける『モチモチの木』の朗読を片端から聴き漁っています。
そして面白いことに大半の朗読者に共通した特徴が見えてきました。
大抵の朗読者が64歳のじさまの人物描写を実年齢以上のかかなりの高齢者として表現しています。また5歳の豆太のことももっと年令の低い子どもとして表現しています。
何故このような表現の朗読になってしまうのかという理由はいろいろあるでしょう。
が、ともかくこのあたりの共通項がはっきりして来るにつけ、このような朗読とは一味違う朗読の可能性を探ってみます。
実年齢のリアリティーを大事にした朗読がしてみたいという欲求が増してきました。