どこに向かってどのように進むのか
どこに向かってどのように進むのか
私は9/11で66歳になりました。母は先月8/11に92歳1か月で永眠しました。
着実に「高齢者」のゾーンから「後期高齢者」のゾーンへとスライドしつつある私です。
さてそこで、自分の立ち位置について思いを馳せてみます。
「長寿と健康の国づくり」を頑張って目指した私たちの国ニッポンです。
「長寿」は見事に短時間のペースで達成できて「超高齢化社会」は達成できました。
一方「高齢者の健康の維持」という意味では多くの問題点が露出してしまいました。
自分がこんなに長生きするとは思ってもみなかったという世代を多く含みます。
デイサービスセンターの介護のスタッフとして就職し、めでたく半年が過ぎ7カ月目に入ろうとしています。なかなか覚えがスムーズでない高齢者の職員の私を受け入れた為、
受け入れてくれた職場の先輩方や同僚の方々には多大な御苦労を強いています。有難いことです。それにつけても皆様方の「忍耐強さ」には敬服の限りを表します。いずれこのご恩は私に続く高齢者の職員が就職してきた時に恩返ししていきたいと思っています。
さて超高齢化社会の日本です。自分自身の10年後20年後に思いを馳せてみます。
とりあえず自分もその時まで生き続けているであろうと想定します。
現役の後期高齢者のご利用者様の介護を仕事としてかかわっていますと、実にいろいろなタイプの「後期高齢者」の皆様が居られます。
その意味では、こんな風な後期高齢者になりたいと憧れを抱くような見事な生き方の方もあれば、あんなふうな後期高齢者にはできればなりたくはないもんだと反面教師的な言動をなさる高齢者もあります。
さて自分はどうでしょう。
高齢者や壮年や青年や少年たちが『お年寄りってかっこいい』『あんなふうなおじいさんに自分もなりたい』というような憧れの対象になれるような齢の重ね方をしていきたいと思うようになりました。それは自分たちの未来に対しての一つの希望です。
老化は『劣化』であり『喪失体験』でありますが、その一方で「人としての『熟成』」という獲得体験のゾーンなのです。これを私も実証をしていきたいと思うようになりました。
そのことが若い世代にとって「老化」を否定的な一面としてのみ捉えたり忌み嫌ったりする対象にせず、むしろ『老化は憧れ』の対象としてイメージできたなら、未来に対して多少なりとも明るい希望を抱ける日々となるのでは…と思います。
だって「明日(あした)」は「あかるいひ」とかくのですから、その明るい日に対して多少なりとも責任を創造していきたいと思います。