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脳卒中を体験した人の生活の楽しみ具合レポート

モチモチの木・考  その1  幼い子にとって暗がりは恐怖です

モチモチの木・考  その1  幼い子にとって暗がりは恐怖です

作者の斎藤 隆介氏は1917年1月25日生まれ~1985年10月30日(68歳没)の日本の児童文学作家。1917年ということは大正6年、私が生まれる36年前です。もし仮に斎藤隆介さんが今年御存命なら齢101歳です。
私が斎藤さんの作品と最初に出会ったのは1973年(当時20歳)、友人から推薦された図書に「ベロ出しチョンマ」という単行本でした。
「モチモチの木」の初版本は1971年11月20日に滝平二郎氏の切り絵を得て岩崎書店から創作絵本のシリーズの一つとして発刊されています。(私が18歳、けれども当時の私にとっては絵本も斎藤さんも全く未知の世界、関心も興味もありませんでした。)

峠の猟師小屋に64歳のじさまとたった二人で暮らす豆太は、5歳になっても夜中に一人で雪隠(せっちん)に行けません。じさまにしてみれば豆太は可愛さもひとしおの初孫か何かでしょう。
ここでいうところのせっちんは屋内にはない小屋の外付けのトイレです。
峠の猟師小屋というロケーションを併せ持って思い描いてみれば、周囲に隣接した人家や集落があるとは思われません。
月夜の晩ででもなければ猟師小屋の周囲はかなり真っ暗で静かな場所だったことでしょう。
暗がりの中にぽつり独立した一軒家なのだろうと思います。
電気は来ているだろうけれども小屋の中の部屋からセッチンまでの通路の夜間の照明はそれほど豊かではないでしょう。豆太は臆病な子供なのですが、臆病にならざるを得ないような住環境も背景にありそうです。

そのせっちんの横には大きなモチモチの木が、空いっぱいに枝を伸ばして立っています。
昼間見上げる巨木と夜の暗がりの中で見上げる巨木とでは同じ木でも存在感が大きく異なります。目に映る木の姿も、また、シルエットから連想するイメージも別物の世界です。

じさまはどんなにぐっすり眠っている時でも、豆太の「じさまぁ」の一言にすぐ目をさまし、真夜中にせっちんに連れていってくれます。たとえ小さな声で呼ばれても聞こえるのです。こんなところにも豆太に対する情愛の深さが読み取れます。
ある夜大好きなじさまが急な腹痛を起こし苦しみもだえます。
豆太は俄然奮起し医者様を呼びに夜道をたった一人ひたすら走ります。
片道約2キロの距離だったろうと思います。
町中と違って街灯などともっていない山の中の道です。まだ5歳です。実に健気な行動です。

(前略)
――イシャサマオ、ヨバナクッチャ!
豆太は仔犬みたいに身体を丸めて、表戸を身体で吹っ飛ばして走り出した。
ねまきのまんま。ハダシで。半道もあるふもとの村まで……。
外はすごい星で、月も出ていた。峠の下りの坂道は、一面の真っ白い霜で、雪みたいだった。
霜が足に噛みついた。足からは血が出た。
豆太は泣き泣き走った。いたくて、さむくて、こわかったからなァ。
でも、大好きなじさまが死んじまうほうが、もっと怖かったから、泣き泣きふもとの医者様へ走った。
(後略)

無我夢中でひたすら頑張ったのです。豆太は医者様の背中に負ぶわれて小屋に戻る道でモチモチの木に灯がともっているのを確かに見ます。

(前略)
つぎの朝、腹いたが治って、元気になったじさまは、医者様の帰ったあとで、こう言った。 
「お前は、山の神様の祭りを見たんだ。モチモチの木には灯がついたんだ。
お前は一人で夜道を医者様呼びに行けるほど勇気のある子供だったんだからな。
自分で自分を弱虫だなんて思うな。
人間、優しささえあれば、やらなきゃならねえことは、きっとやるもんだ。
それを見て他人がびっくらするわけよ。ハハハ」
(後略)