donpo9’s blog

脳卒中を体験した人の生活の楽しみ具合レポート

あそび半分ではなく丸々本気

あそび半分ではなく丸々本気

辞書で語源を調べると「あそび半分…」いい加減な気持ちで物事に取り組むこと。また、そのさま。
とありました。さて、半分・・・いい加減と良い加減のまん中はどこでしょう?
決してあそび半分では見えてこない子供のあそびの世界が厳然とあります。
男性保育士が俗にいうところの「保父さん」だったころ、特に駆け出しの頃の志は乳幼児のあそびを100%丸ごとに大事にしたところから保育を志向してきました。
その志を43年間何処までやり抜けたかと自問自答すれば極めて中途半端だったかなぁって思う面も多々あります。
自分の人生もうすでに生涯の半分の位置は過ぎています。
どこまで行っても中途半端なのでしょうか?

昔『あそび虫のうた』という歌を耳にしたことがありました。
ふと思い出し、この歌のフレーズが頭の中でぐるぐる回っています。
この歌の起源を調べてみたら『1978年第5回全国保母のうたごえ祭典(三多摩)の記念創作「あした」の中で生まれた保母さん達の創作曲』とありました。
祭典があったこの年は私が25歳の時(今から39年前)だから、私の記憶ではその1~2年後の1980年前後に保育関係のどこかの夏期講習会かなにかのアトラクションで聴いたのだと思います。
当時私は、当時は無資格者でも資格取得見込みで現場に就職できた時代でしたから、昼間は保育園で働き夜間は資格取得のために保育科の短大に通学していました。貧乏夜学生でしたが心は錦の日々でした。
時代背景を考えればこのあそび虫の歌を作った人たちはあそび半分ではなく本気で創作したであろうことは想像できます。
「あそび虫」の歌をネットで調べましたら歌詞と楽譜が乗っていました。URLは
http://bunbun.boo.jp/okera/aaoo/asobi_musi.htm  です。 

団塊の世代の先輩方から比べると、私の世代でも既に「遊び力」は目減りし始めていたのですから、あれから40年たった今日目減り現象はさらに増幅し私のイメージするあそび虫は『絶滅危惧種』になっているかもしれません。