donpo9’s blog

脳卒中を体験した人の生活の楽しみ具合レポート

感情的反発

感情的反発

 

 

脳内出血・・・何しろ不本意な体験です。

自分は一生子どものそばで保育の第一線現場で働き続けたいと強く願ってやってきましたから

それが脳卒中を体験したことで見事にかなわなくなったのでした。

脳卒中を体験し、とはいえ幸いにも顕著な後遺症にも見舞われずスムースに退院できたことで、

自分自身は脳卒中を体験しようがしまいが「今までと大きく変わっていないんだ」と

必死で自己暗示をかけていた一年間だったと思います。

ですから周囲の人たちの私に対する処遇が変わった時、感情的反発で自己防衛していたのです。

感情的反発…それも大事だと思います。どうか一笑に付しないでください。

必死で自分の存在そのものを守ろうとする精神の安全弁の一つの仕掛けだと思うのです。

 

それでも「日薬」という言葉の通りやがて時間が傷ついた心を癒してくれ感情的反発も

もうそろそろおしまいにしていいんじゃないのと時がささやいてくれます。

私の今の立ち位置はここです。

 

 

脳卒中体験者として気持ちの置き場

脳卒中体験者として気持ちの置き場

 

 

脳卒中という病名は無くて、脳出血脳梗塞くも膜下出血の3つからなるカテゴリーだそうです。

私は昨年10月に左被殻出血という脳内出血(俗にいう脳卒中)を体験しました。

幸い出血した位置と出血量が少なかったことで顕著な後遺症は現れず以前とほぼ同様の暮らしをしています。

不本意な体験をしたものですからこの一年間「脳卒中を体験した」という事実から心の目を閉ざし、

受け入れようとせずに暮らしてきました。

それだけ精神的なダメージにおびえていたのかもしれません。

自分を取り巻く周囲の人たちからの対応が変わってきました。

そのことへの反発感情から自分は何も変わっていないと過剰に言い聞かせてきました。

けれども一年が経ちましたのでそろそろ心の置き場を変えてみようと思います。

脳卒中を体験した」事実は事実として受け入れて暮らすほうが自然ですから。

これからは積極的にこの事実を受け入れながら暮らしてみようと思っています。

具体的にどうするのかは未知数ですが、心持の置き場を変えてみることにしました。

 

 

ルーズなデザインをタイトに加工したい

ルーズなデザインをタイトに加工したい

 

 

36歳の時からいわゆる「ジグソーパズル」を創作し続けてきました。

今年で継続29年になる活動です。

若い時は勢いが優先の多少ちからわざの作品群でした。

加齢とともに、これに加えて脳卒中を体験していますから、

ますます「量」を作れなくなっています。

おのずと作り方そのものが変わってきています。

眼を三角にして作りまくり、薄利多売ならぬ薄利少売は、

ここへきて営業色を前面に出してのものづくりは昨年からやめています。

 

世にいうところのジグソーパズルは500ピースだとか2000ピースといったものですが、

私の場合乳児&幼児のもてあそぶ玩具という想定のもとに製作しています。

ですから全部で4ピースから多くて30ピース程度のパズルです。

パズルとしての難易度は「簡単」なもの「やや簡単」なもの

一方「簡単そうに見えて意外とてこずる」ものetc…といったレベルの難易度を備えています。

超難しくてクリアできたら二度と触りたくもないパズルといった性格のあそびの世界よりも、

答えは「ばればれなんだけれども…」何となく毎日いじりたくなる…といった性格のあそび世界を

提供できることが作者としての醍醐味なのです。

「かたはめ&かたぬき」あそびが基本で、さらにはピース本体を独自に使って

「ごっこ遊び」の世界へと広がっていくおもちゃです。

ちょっと目に脱着しづらそうで意外なほどにスムーズ、とか、

なんだ簡単じゃないかと『侮らせて』おいて、

いじくりだしたらあれ?って小首をかしげさせたいので、

その為にも作り手としては

『ルーズなデザインをタイトに加工する』製作への集中力の持続を

思いっきり極めてさりげなく仕上げてみたいと思っている今日この頃です。

 

 

 

私は鉄の包丁です

私は鉄の包丁です

 

 

私は鉄の包丁を愛用しています。今使っているのは2代目です。

鉄の包丁ですから扱いをぞんざいにしますと直ぐにキレ味が落ちます。

野菜や果物など切った後すぐに水気を拭き取っておかないと錆が来ることもあります。

切れ味のセンサーはトマトです。トマトを切る時の切れ加減で解ります。

 

私は65歳目下加齢街道驀進()中です。様々な面が有形無形に劣化します。

今朝、嘆く前にはっと気が付きました。

私は鉄の包丁です。砥石で研ぐと包丁は切れ味を回復します。

劣化してもへこたれずにいろいろなシチュエーションの砥石を取り込み増やせばいいのです。

フィジカル面ではラジオ体操、気功、サイクリング。

メンタル面では私はものづくりですから図面に描くデザインに溺れず

これをもとに試作を重ね、手でものを考えます。

安易に妥協をせず言い訳を持ち込まずイメージに関しては実現に向けて頑固に追求します。

センサーはその形の中に背骨が通っているかという視点から自然体に思いを馳せ読み取ります。

読み取りも感性という砥石で研ぎだすのに似ています。

 

 

 

『貧しても鈍しない志』

『貧しても鈍しない志』 

 

貧すれば鈍するという言葉があります。

今回、生き方として選択的に「貧した」のですから、 『貧しても鈍しない生き方』を志向します。

貧したのですから収入に対して出費額をとことん圧縮する知恵を総結集してみたいと思います。

総結集が可能になるように生活の知恵を多面的に集めます。

ただしこの時、品格を欠いたさもしい行動や言動とならぬように不断に注意します。

目先の安さに振り回されては「買い物」をしているのか「買わされている」のか判りません。

 

9時まで営業のスーパーがあります。

8時過ぎに行くとめぼしいものは買われ尽くされています。

その理由がわかりました。

この店舗の営業システムに遭遇したことは少なからずショックでした。

755分頃一斉に惣菜の類の商品に「半額」のラベルステッカーが貼られます。

心得ているお客さんたちが間合いも見事に手際よく首尾よく次々買い物を済まします。

ですからたちまち見事に売り切れです。

売れ残りとはいえ「半額」は魅力です。私は以前から「半額反応者」です。

あからさまに「ハゲタカ」ってしまっては「貧してこそ鈍している輩」の権化です。

この際ですからハゲタカならぬ半額にたかる「ハンガタカ」を意欲的に窮めてみます。

合理化に走らないように発想や思考を点検します。言い訳はいりません。

店舗の側としては営業的戦略として、なるべく売りつくしてロスを減らしたいのです。

社会的全体から捉えれば、余剰生産物を廃棄として処分される商品の量の減量です。

元来粗忽物の見切り発車人間ですから「安物買いの銭失い」にならぬように注意深さを磨きます。

 

 

発揮される力

発揮される力

 

 

人は自分に対して何を期待されているかに、何を求められているかによって

発揮される力の質と大きさが変わってくるものだと実感している910月です。

仕事の仕方のマニュアルが細かいところまで指定されていて、

それを成し遂げるおおよその所要時間まで想定されていると

その指定や想定からはみ出すまいという意識で働きます。

その限りにおいては独自の想像力や工夫を施す余地はなく

創意工夫や独自性を磨こうとする意欲は枯渇します。

バイト先を8月末で退職して新たな生活スタイルの中に身を置いて

私を認め受け入れてくれる人達との旧交を深めていくと

忘れかけていた自分のオリジナリティーが活性化して、

新たな発案や、思いもかけないような工夫がほとばしりだしました。

今年の9月は自分再発見の月でした。

10月はその乗りで着実な一歩をさらに踏み出せています。

 

65歳のラジオ体操

65歳のラジオ体操

 

 

65歳になったので体操の動作を点検しながらやっています。

特に肘と膝が曲がらないように注意しています。

前屈の時には「股関節を緩めて上体を曲げる」コツがつかめつつあるので

動作が深くなってきました。これは毎週一回の気功のレッスンの成果です。

 

両腕を左右に伸ばすとき水平の維持などピンポイントでチェックする良い方法を

発見しました。

晴れた朝、背中で日差しを受けて地面に映る5~6mに伸びた自分の影法師を見て

両腕の水平が保てているかチェックします。

 

放送が終わる頃には太陽の位置が幾分高くなっているので

影法師が4~5mに縮んでいます。

 

ラジオ体操を20年くらい前から断続的に続けてきていますが、体操の動作の途中で

『おっとと何でここでよろけるのかなぁ』と苦笑いすることがあります。

体操中全身がリラックスするものか「出物腫れ物所嫌わず」で、

出ます、でます、あくびやらおならやら・・・。

この頃のおならはロングトーンの傾向がますます濃くなっていて、

自分でも笑ってしまいます。

もしも私が10人いて円陣を組んでラジオ体操などしたものなら

あっちでこっちであくびが出たり、ぶぅうおおんぶうぶうとおならが出たりで

さぞかし賑やかなことでしょう。