母の納骨
母の納骨
母が永眠して昨日(9/28)で49日。そして今日(9/29)納骨してきました。
霊園の職員立会いのもと、墓石屋さんがふたを開け、墓石の下に収める6番目の骨壺。
納骨してこれで気持の節目のひとくぐりです。
合掌し御霊の安らかなることを祈り「これからはみんなを見守ってください」と
念じました。
トマト 7番目の調味料
トマト 7番目の調味料
トマトが好きです。
9月の中旬あたりから葉境期に入るのでしょうか。
店頭に並ぶ産地ごとの種類も頻度も圧倒的に少なくなります。
トマト好きの愛好者にとってはちょっぴり寂しい頃合いです。
トマトは追熟しますから好みの熟し加減まで常温で調整します。
勿論枝からもぎたての完熟トマトの比ではありませんが、
私は完熟もどきのトマトが好きです。
「夏野菜の重ね焼き」のてっぺんに載せます。毎回飽きずにいただけます。
トマトは単品でも美味しいです。
お好みのドレッシングやオリーブオイルもおいしいです。
トマトには塩でも、醤油でも、味噌でも、ソースでも、マヨネーズでも、
顆粒状かつおだしでも美味しく似合います。
最近発見した7番目の調味料は「減塩タイプの梅干南高梅はちみつ漬け」です。
これもなかなか合うんです。
勿論何もつけずにトマト本来のそのものの味を賞味するのがなんてったって極みです。
骨壺の前で小さな朗読会
骨壺の前で小さな朗読会
来週末には49日法要、翌日の日曜日には納骨をします。
お骨がまだ実家にあるうちに是非実行したいことがありました。
妹夫婦は20年近くも母の面倒を見続けてくれました。
その間なんだかんだという時に助けていただいた心強い地域のお友達が
何人かおりまして、その方たちを招いて母の骨壺を安置している部屋で
追善供養の意味合いも込めて昨日(9/21)小さな朗読会をしました。
多少なりとも後付けの理由となりますが、「王様の新しい服」の
朗読台本の脚色が仕上がった経緯話の不思議を紹介して、
まさに母に背中を押されて仕上がったこの作品を朗読しました。
私のわがままにお付き合いを願って聴いていただけたことへの
感謝も申し上げました。
どこに向かってどのように進むのか
どこに向かってどのように進むのか
私は9/11で66歳になりました。母は先月8/11に92歳1か月で永眠しました。
着実に「高齢者」のゾーンから「後期高齢者」のゾーンへとスライドしつつある私です。
さてそこで、自分の立ち位置について思いを馳せてみます。
「長寿と健康の国づくり」を頑張って目指した私たちの国ニッポンです。
「長寿」は見事に短時間のペースで達成できて「超高齢化社会」は達成できました。
一方「高齢者の健康の維持」という意味では多くの問題点が露出してしまいました。
自分がこんなに長生きするとは思ってもみなかったという世代を多く含みます。
デイサービスセンターの介護のスタッフとして就職し、めでたく半年が過ぎ7カ月目に入ろうとしています。なかなか覚えがスムーズでない高齢者の職員の私を受け入れた為、
受け入れてくれた職場の先輩方や同僚の方々には多大な御苦労を強いています。有難いことです。それにつけても皆様方の「忍耐強さ」には敬服の限りを表します。いずれこのご恩は私に続く高齢者の職員が就職してきた時に恩返ししていきたいと思っています。
さて超高齢化社会の日本です。自分自身の10年後20年後に思いを馳せてみます。
とりあえず自分もその時まで生き続けているであろうと想定します。
現役の後期高齢者のご利用者様の介護を仕事としてかかわっていますと、実にいろいろなタイプの「後期高齢者」の皆様が居られます。
その意味では、こんな風な後期高齢者になりたいと憧れを抱くような見事な生き方の方もあれば、あんなふうな後期高齢者にはできればなりたくはないもんだと反面教師的な言動をなさる高齢者もあります。
さて自分はどうでしょう。
高齢者や壮年や青年や少年たちが『お年寄りってかっこいい』『あんなふうなおじいさんに自分もなりたい』というような憧れの対象になれるような齢の重ね方をしていきたいと思うようになりました。それは自分たちの未来に対しての一つの希望です。
老化は『劣化』であり『喪失体験』でありますが、その一方で「人としての『熟成』」という獲得体験のゾーンなのです。これを私も実証をしていきたいと思うようになりました。
そのことが若い世代にとって「老化」を否定的な一面としてのみ捉えたり忌み嫌ったりする対象にせず、むしろ『老化は憧れ』の対象としてイメージできたなら、未来に対して多少なりとも明るい希望を抱ける日々となるのでは…と思います。
だって「明日(あした)」は「あかるいひ」とかくのですから、その明るい日に対して多少なりとも責任を創造していきたいと思います。
宮沢賢治・作「土神とキツネ」考 その1 ~嘘をつく心持ち~
宮沢賢治・作「土神とキツネ」考 その1 ~嘘をつく心持ち~
恋する人に自分を伝え、認めてもらいたいという欲求は誰にだって多かれ少なかれあるものです。相手の関心を自分のほうに引き寄せたいと望むが故に「エーカッコウシイ」の嘘をつきます。
生来の性格というのはまわりの他者とのかかわりの中で「良い面」と、あるいは「良くない面」として反映されます。土神にしてもきつねにしても、それぞれ良いキャラクターを持っているのに、その良さをうまく発揮できないばかりか、発揮しようとすると自分の発する言葉の嘘によって現実は微妙に歪んでいきます。
二人に共通して言えるのは『自分自身をとことん信じきれない』という点です。
信じきれない面を自覚あるいは予見するが故に、そこを埋め合わせしようとして結果的に「嘘」をついてしまいます。嘘には無理がありますから露見すると倍になって矛盾点が爆発します。
皆それぞれによい面を持っているのですからその一方の自分の弱さや不足している面をそのままに認めてしまえば全く異なる新たなるストーリーの展開があるのですが、認めきれなかったところから「土神とキツネ」のお話が展開されていきます。