donpo9’s blog

脳卒中を体験した人の生活の楽しみ具合レポート

傷が教えています

傷が教えています

 

 

日頃「小さな怪我を上手にして大怪我をしない」という心がけで暮らしています。

そそっかしさや思慮の浅はかさと注意散漫がタッグマッチで招くドジに対しての

言い訳にしていると言われれればそれまれででです。と文字が意味なく震えます。

昨日朝食の時カッターナイフの替え刃の刃の側を刃の背中側と見違えました。

しっかり目視確認が甘く触ってしまいました。老眼だとこんなことにもなります。

瞬間指先に鋭い痛みが走って指を反射的に外し「やっちまったぜ」でした。

指を刃先に押し付けていただけで指を引かなかったので指先が切れるところまでは

いきませんでした。

間一髪と糠喜びをしていたら数分後にじわっと血が滲んできました。

2年ぶりくらいに救急絆創膏を撒きつけ圧をかけ止血しました。

左の人差し指の先端ですからパソコンのキーボードをタップするのに頼りなく

誤字入力もいつも以上に増大しました。

次は注意深く扱うように傷がチクチク教えています。

 

通院日は痛イン日  背中と肘と・・・(朝の満員電車風景)

通院日は痛イン日  背中と肘と・・・(朝の満員電車風景)

 

 

月に一度都内の大学病院に行き点滴注射を受けています。

同じ「東京在住()」でも三多摩の南に暮らしている私です。

 

通院とはいっても朝早くのいわゆる通勤ラッシュ時間内に

都内の新宿の病院まで出向く移動ですから人ごみの多さに圧倒されます。

最寄り駅の私鉄の駅から新宿に出るまでの電車の乗客の込み加減は

内心戸惑うことが多々あります。

今日は確実にいつもより一人分乗客が多い(私のこと)のです。

込み加減が若干増しています。

電車に乗り込んで、『乗り降りの人の群れの動き』を考えて

自分にとって都合の良いベストの立ち位置を確保しようと努力します。

 

発車間際に通勤慣れしている人たちがバックギアモードで車内へと

背中でグイグイ押してきます。

まっすぐ単純に押してくる背中、ひねりを加えてスルリと押してくる背中。

顔の見えない背中でも人柄や品位は気配を通じて伝わってきます。背中の不思議。

次に周辺に立つ人の「肘」の存在です。

特に既につり革を確保している肘はその人の意思を端的に表出しています。

「立ち位置の既得権を侵害されまいとする肘」はあとからくる新参者に対して

敵対意識を醸し出しています。実にデリケートな表現です。肘の不思議。

「肩ひじ張って…」とかいう言葉があるくらいですから人間社会の中で

昔から「肩」も「肘」も自己主張をしてきたのでしょう。

こういう肘に遭遇したら対抗はしません。

触らぬ神に祟りなし。触らぬ肘に祟りなし。

ちょっと身体をひねるか半歩譲って接触ポイントをずらします。

結構痛い意味不明に硬いものが身体を押してくる場合があります。

何だろうとさりげなく見ると大抵通勤カバンに入ったパソコン類です。

持ち主は不快がったり戸惑ったりしている人の心情までは読み切れず無関心です。

特段悪意のようなものが伝わってこない限りは黙って痛さを回避、譲歩します。

途中の乗換駅で一度に沢山人が降りるとき気配はかたまりとなって急速に

「降りますオーラ」になります。まるで夏の日の積乱雲のようです。

事前に感じ取って動きに巻き込まれぬよう足を踏みかえ上肢をトルネードします 。

群れの動きから逃れきれないときは一旦ホームに降りて再び電車に乗り込み、

新たな満員電車の乗客としてデビューです。

この時乗り込むタイミングが重要です。

が初心者マークの私にはハードルが高いです。

たまに乗り込むのですから程よく右往左往しながら人間観察です。

 

元気液と元気の壺  (第3稿)  曵田原 宏  ばぶさん童心話

元気液と元気の壺  (第3稿)  曵田原 宏

 

元気の源、元気液と元気の壺のお話はご存知でしたか?

 

人は誰でも皆心の中に壺をひとつ持っているんです。

その壺は別名「元気の壺」といいます。

その壺の中には『元気液』が入っています。

実はこれが元気の源なのです。

 

この『元気液』の液性は揮発性が高いので油に似ています。 

揮発した元気液は言葉や眼差しや祈りや笑顔や笑い声となり

相手のもとへ届きしっくり感じとられ納まります。 

その一方、こちらの思いが空回りして雲散霧消してしまうことがあるのは 

もう一つの元気液の液性の理由からきています。 

元気液には相手に押し付けたり奪い取ったりできない液性があるからです。

 

揮発性が高いのですからうっかりしていると元気液はどんどん揮発して

壺の中がカラカラに干からびかけているなんてこともしばしば起きます。

それならば壺に蓋をしたら揮発が防げるかというと

これが厄介なことに元気液はいともたやすく劣化し腐敗します。

絶えず新鮮な空気に触れさせておかないと鮮度が急速に落ちるからです。

 

人は皆太古の昔から互いに感じ合うことによって

その元気液を自然体でやりもらいしてきました。 

 

元気液は均質ではありません。

人によって元気液の透明度も色つやも粘度も違います。 

この十人十色の元気液をやりもらいして矛盾しないのかと

心配になりませんか?

大丈夫です。元気の壺に備わっている調整力の不思議です。

元気の壺は結構柔軟、しなやかです。 

しなやかさには個人差がありますが、

年齢とともに身の丈に応じた元気の壺へと熟成します。

元気の壺に注がれる元気液は壺の持つ不思議力で

自分自身の身の丈に応じた液性に生まれ変わり体内になじみます。

 

人が互いに挨拶を交わし合う時、

贈り物を交換し合う時、

愛する者が見つめ合いいだき合う時

「元気液」は増殖し互いの元気の壺を満たすのです。

 

大きな孤独を抱いて暮していても、

決して孤立しないで生きてこれたのはこうした訳だからです。

 

誰かが誰かの元気の支えになっている

世の中は

みんなお互いに

誰かが誰かの元気の源になっている

 

あなたの笑顔に癒され

あなたの微笑みに励まされ

あなたの眼差しに安堵している人が確かにいます

 

これって何と素敵なことでしょう

 

ほら 

『私もそこそこいけてるんだわ』

と自信がわいてくるのはこうしたわけです。

 

合格しました

合格しました

 

 

ハローワークで紹介された東京都の職業能力開発センターの

平成31年1月入校生募集の選考試験を先週水曜日(12/5)受けました。

受けたのは『生活支援サービス』という学科です。

今日は結果発表の日です。

郵送され結果の通知が自宅に届くのはたぶん明日でしょう。

我ながらせっかちですね、待ちきれずに試験会場の

多摩職業能力開発センター府中校に結果を見に行きました。

合否結果が10時に掲示されました。

合格していました。嬉しいです。やっぱ嬉しいです。

これで、来年1/73/25までの約3か月間みっちり月曜から金曜まで

毎週5日間7時間の授業を受けます。40年ぶりの学生生活です。

路線バスと電車を乗り継いで片道1時間弱の通学です。

最寄駅から学校まで徒歩10分の道。

道中の電信柱に巻きついている「通学路」の表示が身近なものに感じだしました。

 

冷酒と親父の小言とM.R.Iの画像は…

冷酒と親父の小言とM.R.Iの画像は…

 

 

M.R.I検査を受けました。

M.R.I.とはMagnetic Resonance Imaging(磁気共鳴画像)の略語で,

M.R.I.検査は強力な磁石でできた筒の中に入り、磁気の力を利用して

体の臓器や血管を撮影する検査です。

昨年10月に脳内出血をして17日間の入院したとき退院時MRI検査を受けて

脳内の出血が消えているという説明を受け「治ったんだ」と安心しきって

意気揚々退院ました。そう思い込んで今日まで暮らしていましたが…。

 

その後2カ月に1回の外来通院で様子を継続的に見てもらっています。

12カ月たちましたからその後の経過をM.R.I.で見てみましょう」ということで

今日の検査となりました。

検査結果の画像を見せていただいて

「新たな出血や異常は見られません。順調ですね。」のDr.の説明に先ずは安堵。

一方、画像の中に昨年の出血の痕跡が黒く残っている箇所が確認できました。

「これは出血した時の血液の中の鉄分が残って黒く見えるんです。」

「これって体内に吸収されたり、傷跡が消えたりはしないのですか?」

「しません、ずっと残ります。」

「・・・」

完治したのだから痕跡はないと勝手に思い込んでいただけに動かぬ事実を

画像で見せられ、帰路どうにもテンションが下がってなりません。

冷酒と親父の小言とM.R.I.の画像はあとから効いてくるんですね。

 

恩師の墓参をしてきました

恩師の墓参をしてきました

 

 

日々の暮らしは毎日誰かの誕生日で毎日だれかの祥月命日です。

2003(平成15)/12/9今から15年前のことです。

私の小学校56年の担任だったM先生がお亡くなりになりました。

今年はたまたま日曜日の祥月命日ということもあって墓参してきました。

墓参は今回が2回目でした。

墓碑を読んだのに迂闊にも先生が何歳でお亡くなりになったのか見ませんでした。

風が冷たく強めに吹き抜けていました。

私には2歳年上の兄(故人)がいました。平成10年没の47歳の生涯でした。

M先生は私たちの学年を受け持つ前やはり56年生を担任していましたので

私たち兄弟を4年続けて担任したことになります。

生前M先生のご自宅を訪問したことが一度あります。

私が保育士になってざっと9年目のことでしたから今から36年前頃になります。

その時M先生は国立(こくりつ)の小学校の校長さんをされていました。

「兄ちゃん達の学年は長男長女(1)が多く君たちの学年は兄弟の2番目や3番目が多い学年だったのが特徴だったよ」と語られていました。

私の学年の担当の時は30歳だったとおしゃってました。

生徒と18歳違いという計算になります。若くてバリバリだったろうと思います。

放課後に生徒と本気で遊んでくれる日もありました。

ドッジボールなんて手加減なしの本気でやってくれました。

先生との談笑で特に記憶に残っている象徴的な話が一つあります。

教師は教壇に立って授業を始める時「みんな前を向いて」と声を掛けます。

この時、後ろを向いている生徒がいたとします。

みんなが前を向いている時一緒に前を向いてるほうが楽なのに後ろを向いている。

「さあ前を向きなさい(勉強することで幸せが待っているよ)」と声をかけつつも、  

『この子はどれだけの悲しみをもって後ろを向いているの』と思いを馳せてみる。

教師には複眼の感性が大事なんだよ的なことを語っておられました。

自分が現場の保育士をしてた時大切にしていた心がけのひとつは

M先生からの伝授です。

 

ばぶさんポエム ~言葉遊び④~ いつかかなえてみたい夢

ばぶさんポエム ~言葉遊び④~ いつかかなえてみたい夢

 

 

いつかかなえてみたいゆめ 

 

 

ことばあそびはおもしろい

はいうものの まるっきり でたとこしょうぶの

あたりしゅぎで そうそうたやすく

そべません そせいらんぞうひかえめに

れなら みんなが いひょうをつかれ

っくり どっきり するような 

でな アクション ちょとはさみ

もむきぶかく しりょぶかく

うこれいじょうはないですと きわめたことばを

にたくし みんなにきっと つたえたい 

うどくかいで もうろうと いや ろうろうと

つかかなえてみたいゆめ あつくかたってみませんか?

 

 

※駄洒落(だじゃれ)ではなく、オシャレに洒落(しゃれ)を決めてみたい…

これもまたいつかかなえてみたい夢の一つです。